ペップがメッシーを中盤で使っているのも、アルゼンチン代表仕様のためだと、勝手に思い込んでいた。とにかくボクは、そのくらい、この大会のメッシーに期待していた。だがメッシーは、自ら飛び立つための翼を見つけきれないまま、一つのゴールを決めることもできなかった。そしてアルゼンチンはドイツの前に敗れ去った。
個人的には、ナイジェリア戦でも良かったし、韓国戦でも良かったので、どこかでメッシーのゴールが一つでも決まっていたなら違う展開があったのではないか、と結論づけていた。メッシーはアルゼンチンの勝利に貢献していたけれど、メッシー自体のリズムが上がってこなければ、アルゼンチンの優勝はあり得なかったからだ。
しかしこの考えは間違っていたのかもしれない。それはスカパーの“ジャンルカなう”で亘さんが、「メッシーはスペイン人だった」と言っていたからだ。それはメッシーのプレーが僅かにブレていたからだという。例えばバルサでのメッシーならば必ず決めていたはずのパターンで、シュートが枠さえ捉えていない点を挙げ、もしメッシーがアルゼンチン育ちならばあの厄介なジャブラニを使いこなして修正していた、と結論づけていたのだ。
それを聞いて、なるほど、と思った。確かにそういった部分はあったかもしれない。そして昨日、たまたま江川と江夏の対談を見ていて、それがほぼ間違いないことなのだと思わされた。それは江夏が江川を改めて“怪物”だと認めたときの会話だ。
「コントロールは気にしていた?」
そう聞く江夏に江川は、こう答えた。
「(気をつけるようになったのは)肩を壊してから。それまでは全く(気にしていなかった)」
そして江夏に、だから怪物なんだな、と言わしめたのだ。
そう、江川は全盛期、コントロールなど気にする必要がなかった。まっすぐを投げていれば勝利は自ずと付いてくる。だからそんなモノは必要としなかったのだ。たぶんこれはメッシーにも当てはまるのだろう。おそらくメッシーの感覚では枠に飛んでいたはずなのだ。だが、怪物故に、その修正ができなかった。なぜなら、これまでのすべてがそれで通用したからであり、修正など必要としてこなかったからである。
アルゼンチンの敗退はマラドーナの問題で片付けるのは簡単だ。だが間違ってはいけない。この大会前、メッシーはマラドーナを超える存在だと期待されていたのだ。もちろんボクもそれを期待していた。だから、監督がダメだった、と片付けるワケには行かないのだ。
“最先端のサッカーに、天才は必要ない”
Numberワールドカップ総集編号のサイモン・クーパーが書いたコラムのタイトルである。
このタイトルを見ながら、来シーズン以降のメッシーを想わずにはいられない。なぜならこのコラムで最後にクーパーがこう書いているからである。
「パスサッカーの信者は個人の才能も気にしなくていい」
今大会、スペインの優勝で幕を閉じたが、スペインの中盤にチャビ、ブスケッツ、そして優勝を決める決勝ゴールを決めたのがイニエスタである以上、彼らのパスサッカーがバルサを中心に形成されていることに疑いがない。その彼らが、メッシーの力をなくして、世界を制してしまったのである。バルサにおける唯一の天才、だが最先端のサッカーには必要ないのだ。
ズラちゃんは天才肌の選手であるが、一人でプレーすることを好まない。ビジャの決定力は素晴らしいが、彼もまたエゴイストではない。2シーズン目のズラちゃんが、昨シーズン以上の活躍を見せるとして、そこにもしセスクというパーツが加わったのならば、本当に“最先端のサッカーに、天才は必要な”くなってしまう可能性がある。
4年後、メッシーが再び世界一に挑もうとするとき、監督が誰であれ、そこにはチャビもイニエスタもいない。だがメッシーもまた、最先端のサッカーの中で育った一人である。だからこそ再びバルサに戻ってくるメッシーが、新シーズンでどんなプレーを見せるのか、バルセロニスタという枠を超えて、楽しみでならないのである。


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そしてイニエスタはカンテラの最高峰であって、
このコラム内の天才には当てはまりません。
なので、その点に関しては、何を言われようと・・・
しかしこのブログの、このわけワカランリンク機能はなんとかならんのかな?
別のところに移そうとも考えないでもないけど。
いずれしても、ボクの中では新シーズンのメッシーは注目です。
彼らが世界一になっちゃったからね。