2007年12月27日

あの笑顔は帰って来ない。

 負けちまったね。ああ負けちまったよ。だからとっても悔しいデス。
 でもこの試合で、ある一つのことにおける、決定的な結果が出たのだとしたら、それにボクは満足する。
 満足、という表現が的確かどうかは、この際ともかく。

 さて、ある一つのこと。それはもちろん、バルセロニスタならばすでにご承知の通り、ロナウヂーニョのことだ。
 ここ数試合、良い流れであったスタメンを切り替え、ライカーはロナウヂーニョを選択した。それが正しかったかどうかは、すでに結果が出た後なので、ハッキリしている。失敗だった。でもこれは、おそらく多くのバルセロニスタが想定していた結果だったかもしれない。だが、いずれにしても、我らがライカーはロナウヂーニョを選択し、残念ながらボクらは散った。それが今のバルサの答えだった。
 ロナウヂーニョに批判が集まっている。少なくとも、ボクが見ていた恵比寿では、彼への評価は最悪、敗因であると判断された。もちろんボクも途中で彼を要らないと思ったし、引っ込めろ、とも思った。だからきっと来年からロナウヂーニョにポジションはないと思う。何をどうしても取り返すチャンスはないだろう。なぜならボクらはロナウヂーニョの全盛を知っているからだ。失ったものを取り戻すには、あまりに高い壁。あのときのロナウヂーニョに戻るはずはないのだ。
 決定的な結論。一つのサイクルが完全に終わりを告げていた。
 でもこの終わり方は、個人的に、悪くない。とても良い意味で、とっても悪くない。

 ボクはロナウヂーニョが嫌いだ。これは以前からずっと言い続けていることだが、全くと言っていいほど好きではない。ただ彼のゴラッソを、エコパとカンプノウと、二度もこの目に見せられたので、ボクにとっては特殊な位置にいる選手だ。
 たぶんライカーの、あるいはロナウヂーニョのバルサの最高潮は04-05シーズンだろう。初めてリーガタイトルを獲得したシーズン、イニエスタがまだ控えで、でも変わらず怪我人も多く、13人くらいで試合に臨んでいた頃の話だ。
 ボクが見たゴラッソもこの頃、チャンピオンズ、グループステージのミラン戦。あの逆転ゴラッソだ。今でも忘れない、でも何も憶えていない感覚、あれは本当に興奮した。ミランにも特別な思い入れを持っているボクだから、余計にそう感じたのかもしれないが、その直後のコルーニャ戦でのすべての余裕ぶりは、チームの完成度の高さを物語っていた。そして迎えたカンプノウクラシコの圧勝劇、あのときのバルサは最高だった。
 それに対して、バルサにおけるロナウヂーニョの頂点はどこになるだろう。もちろんこの04-05シーズンとも言えなくはない。だけど印象度を加味すれば、二冠を達成した翌シーズンと言えるのではないだろうか。もちろん、彼とバルサとの関係で欠かすことの出来ないベルナベウクラシコでの2ゴール、間違いなくロナウヂーニョの選手としてのハイライトである。
 そう、ボクはこの試合がロナウヂーニョのハイライトだと思っている。バルサにおいても、この試合がもっとも輝いた試合と言えるだろう。うん、頂点だ。

 こんなことを書いていたら、いろいろ思い出してきた。
 そういえば、あのゴラッソ前のロナウヂーニョもボロボロだった。怪我による出遅れがあった気もするが、その前のシーズンで見せた輝きがまるでなく、お世辞にも誉められた出来ではなかった。実際、ミラン戦もゴラッソ以外は酷いモノだった。だが、重要な試合で進化を発揮するそれは、まさに“クラック”だった。彼らはあれ一つですべてを帳消しに出来るのだ。
 いつでも密かに、ロナウヂーニョが“クラック”に戻るのでは、と期待している自分がいた。チャンピオンズ決勝でも、実は今回のクラシコでも。
 だってこの目で見たんだもん。
 だけど結局一度だけ。でも一度で十分すぎるものをボクらは彼から頂いた。
 だからバルサのクラックとして、ボクはこのロナウヂーニョの終わり方を悪くないと思う。なぜなら彼の上昇線がビッグゲーム〜クラシコ付近に始まり、最高潮をクラシコで迎え、そして終わる時もやっぱりクラシコであったという、ボクが想い描ける最高の放物線だったから。

 もちろんロナウヂーニョのすべてが終わったわけではない。選手として、バルサ以外のクラブに行けば、まだ十分に活躍できる選手、まだまだ最高の選手の一人であることに違いはない。
 あくまで終わったのはバルサでのサイクル。だからロナウヂーニョに魅せられたバルセロニスタとして、この試合ですべて終わりにしたい。それがファンの勝手な心理だとは理解しているつもりだが、何が起ころうと、二度とバルサでのロナウヂーニョの時代は戻ってこないのである。
 と、書きながら、何もロナウヂーニョが移籍すると決まったわけではない。だから何も決まっちゃいない。
 ただ、一つだけ、もうカンプノウにロナウヂーニョの笑顔が戻ってこないだろう。たったそれだけのことだ。
ニックネーム ガッチョ at 01:29| Comment(0) | TrackBack(0) | FC Barcelona

2007年12月18日

ジョバニ、その可能性の先には・・・

クラシコを迎えるに当たり、密かに復活しようと思うのです。

 実は最近のお気に入りがジョバニなのだ。
 もちろんその理由もハッキリしている。

 ここに来てバルサに奇蹟的なことが起こっている。バルサに関しては、いつでも高いものを求めるボクだけど、一つだけ絶対に実現しないだろうと諦めていたことがある。それがバルサカンテラ出身からトップチームのレギュラーになるデランテロが生まれること。だが今シーズン、それさえも覆されようとしている。しかも3トップすべてがカンテラ出身という可能性さえ残して。
 一人は誰あろうレオ・メッシー。この選手に関してはいちいちここで細かく語る必要もないだろう。バロンドールを獲得する日もそう遠い話ではないと思われる。
 もう一人はボージャン。彼は今シーズン、トップチームにデビューしたばかりであるが、将来、バルサを背負って立つ選手になる可能性を十分に秘めている。すでにカンプノウでゴールを奪っているところも、その可能性を大きなものにしている。来週のクラシコにおそらく出場できるであろう、その持ち合わせた強運も、成功する上で重要なポイントだ。
 さらにバルサにはイニエスタという才能がいる。彼の本来のポジションはデランテロではないのかもしれないが、その余りある才能が、それさえも可能としている。すでに実現しているこの3人のトップであるが、いつか、この三人がファーストチョイスという日が来るかもしれない。

 だからこそ、ジョバニなのである。
 怪我から復帰してきたジョバニを見た。チャンピオンズでのシュトゥットガルト戦だ。
 バルサにとってもシュトゥットガルトにとっても完全な消化試合であったが、ジョバニにとっては違っていた。
 ロナウヂーニョはともかく、エトーが復帰し、メッシーという絶対的スタメンがいる以上、ジョバニに残されたポジションは一つ。今の彼とイニエスタとでは比較するまでもないから、対象はアンリとなるが、それはいろいろな意味でも難しいだろう。だとすると今の最大のライバルはボージャンになる。
 しかしボージャン、先ほど書いたように、彼はすでにカンプノウでゴールを決めている。デランテロとしてすでに結果を残している選手といえる。それに対しての比較なのだ。怪我による出遅れ、それは印象として拭い去れない。少なくともボクの中では、そうだ。ただし、ジョバニにとってボージャンは世代が下、彼個人的な感情としても、今の状況を穏やかには受け止められないだろう。
 シュトゥットガルト戦のジョバニは、焦っていたとは言わないけれど、アピールに必死だった。でもそれはもちろんのこと、確かにここで生き残らなければ、彼のバルサでの将来は限りなく閉ざれることとなる。悲しいかな、デビューシーズンにしてラストチャンスなのだ。

 だからこそ、ジョバニに注目すべきだ。
 ここまでのプレーを見る限り、ボクはジョバニがバルサのトップチームでプレーするに相応しい才能をもっていると考えている。ゴールを決めた後の試合となったバレンシア戦では、おそらく気持ちに余裕が出来たのだろう、グジョンセンにしっかりとパスを出していた。おそらく状況判断も大きく間違わないセンスも持ち合わせていそうだ。デランテロに必要な能力は一通り備えている。
 だが残念なことに、どれほど非凡な才能が眠っていたとしても、彼がメッシーを越えることはない。それだけは間違いない。そしてそれに反対する人もいないだろう。
 そう、だからこそ、ジョバニなのだ。

 ボクはジョバニがドリブルで内に切れ込むたびに思う。
 “君は絶対にメッシーを超えられないよ”
 おそらく並ぶことさえない。しかも永遠に、きっとどれほどの時間が彼に与えられたとしても。

 だけど今、彼に光明が全くないわけではない。
 他のポジション、いや、それはない。デランテロ・セントロとしての適性はボージャンのほうが圧倒的に上であろうし、今、エトーを越えるストライカーがこの世界にいるとも思えない。したがってまったく別の、しかも直接的な可能性ではない。
 それが怪我である。
 メッシーは類稀なるテクニックを持ち合わせた最高の選手であるが、同時に最高の選手の条件である瞬発力も持っている選手だ。そしてその瞬発力は怪我を伴う。例えばオーベルやギッグスがフルシーズンプレーできないように、たぶんメッシーも同じような問題を抱えることだろう。
 メッシーの診断結果は5、6週間程度。
 クラシコに始まる、大きな機会だ。
 ただ、それでも逆転だけはないだろう。例えばクラシコで、どれほど素晴らしい活躍を見せても、メッシーを越えて、あのポジションのスタメンを勝ち得ることなんて考えられない。結局は同じ結論が彼に待っているのである。

 ジョバニはどれだけ、そしていつまで自分の(バルサにおける)可能性を信じていられるだろう。
 果たして、閉ざされている未来を、自らの手でこじ開ける道に挑むのか。
 彼の辿る道が楽しみで、ボクはジョバニに注目しているのである。
ニックネーム ガッチョ at 07:37| Comment(5) | TrackBack(0) | 選手

2006年09月24日

勝ち続ける先に、見えるもの。

 仲良くさせてもらっているバルセロニスタの一人に、ガッチョさんは変態ですね、と言われたことがある。彼に言わせると、ボクのバルサに対する考えた方が、ちょっとキチガイじみているらしいのだ。まぁ確かに、素直なバルセロニスタだとは思わないが、そこまで変わっているだろうか。
 今シーズンは、昨シーズンよりもさらに順調に、リーガの開幕を迎えた。ヨーロッパスーパーカップこそ惨敗してしまったが開幕から3連勝、すでに新加入選手のグジョンセン、テュラムもザンブロッタも活躍を見せており、文句のつけようもなかった。
 でも、文句のないバルサに、不満を感じないこともなかった。
 そこには、今のチームが完成していることと、その答えでもあるビッグイヤー獲得の、その瞬間を見てきたことが影響しているに違いないのだが、それでも何か物足りない部分を感じている自分がいるのは正直なところだった。
 そんなことは勝っているから言えるんだよ、とも言われたが、必ずしもそうだとは言いきれない気がしている。それはもちろん応援しているチームが勝った方が楽しいに決まっているけれど、僕は数シーズン前の暗黒時代も十分に楽しめていたし、あくまで見る側でしかない以上、ボクは勝ち負けよりも重要なものがあると考えているからだ。だから、この現状が続くのであれば、たとえバルサが勝てなくなっても、それはそれでいいと思っている。
 ただ、最近になって、この考え方もそろそろ汐どきなのかなと考えるようになってきていた。
 だけどそれは何も、バルサが順調に勝ち続けていることと、その先にクライフの実現したスペクタクルが望めないと思い直したからというわけではない。

 バルセロニスタには不思議と変わり者が多い。
 少なくとも、類は友を呼ぶというわけでもないだろうが、ボクの周りのバルセロニスタには変わり者が多い。ウラゲー、ウラゲーと騒いでみたり、ボクのようにネタだネタだと突っ込んでみたり、いずれにしても一般的に考えられるまじめな観戦はしていない。
 自分がそうだから、それを悪いとは思っていないが、意外にも似たような考え方をするバルセロニスタが多いことに最近気がつき始めた。安定しているバルサはらしくない、だとか、スリルが少ない、だとか、もはや言いがかりとしか思えない理由でバルサに不満をぶちまけるのだ。
 まったくもって変わり者ばかりで困る。

 だが本質的なところで、スペクタクルを求めている点において、さほど違いがあるとは思っていない。それはおそらく一般的なバルセロニスタと比べても変わらないだろう。
 しかしボクが望んでいるスペクタクルはいつだってクライフが現出させたスペクタクルだった。だが当たり前の話だが、いくらコピーを求めてもコピーがオリジナルを超えるわけがない。そして残念なことに、スペクタクルとはやっぱりボクの中では、クライフと同義なのだ。

 だからこの際、今シーズンに限り、ボクはこの手のネタを放棄しようと思う。
 今シーズンのバルサは、先ほど述べたように、隙がない。完成されたチームであり、もしかすると昨シーズンの二冠を達成したチームよりも、安定感という点では上かもしれない。当然、チャンピオンズの大本命であり、リーガにおいても優勝候補の最右翼である。
 もしそうだとするならば、このままブッチギリで再び数多くのタイトルを手にするというのも面白い気がしてきた。それをスペクタクルと呼ぶことはできないのかもしれないが、ある意味で、ものすごくスリリングなことであると思えたからだ。
 ルイス・バンガールは幻影と闘い続け、そして敗れ去った。ボクはその姿をたまらなく好ましく思っていたが、もしフランク・ライカーがその幻影に立ち向かっているのだとすれば、彼がそれを超える手段は一つ、記録だけしかない。いやむしろ、最初からそれを超えるには結果しかなかったのかもしれなかった。
 だからボクは、どれほど手堅く、リスクの少ないバルサであっても、もう文句を言うのを止めようと思う。
 だって、たぶんこれだけ安定して勝ち続けるバルサに出会うことは、二度とないような気がするから。だったら勝って、勝って、勝ち続けて、その先にある答えを見てみたくなるのは、必然のことのように思えてきたからである。
ニックネーム ガッチョ at 23:50| Comment(2) | TrackBack(2) | FC Barcelona

2006年08月24日

罪深きは親善試合のゴールなのか。


 スーペルコパでエスパニョールを圧倒し、ガンペールではバイエルンに快勝。まったくもって順調なバルサであるが、一つ驚きだったのが、ガンペールにサビオラが出場したことだ。

 ハビエル・サビオラ。
 ガスパー時代に鳴り物入りでバルサへやってきたサビオラ。リバウド、クライフェルトに囲まれて、1シーズン目から結果を残した。その後のシーズンは監督との相性が合わずに、出場機会に恵まれなかったものの、それでも毎シーズン二桁ゴールを決めるなど、結果は残し続けてきた。
 だがそれでもサビオラの立場は好転しなかった。2004−2005シーズン、バルサにエトーが移籍してきて、いよいよサビオラの立場は追い込まれることとなる。この2シーズンのエトーのゴール数を考えれば、おのずから今のバルサに必要なデランテロが誰なのかはハッキリしている。それにサビオラにはガスパー時代に交わした契約内容と故にガスパー時代の象徴と思われるマイナス材料がある。つまりは改革を掲げたラポルタ政権にとっても、ある意味で、象徴的な選手であった。
 だから昨シーズン、セビージャに移籍した時点で、もうてっきり完全移籍だと思っていたのだけど、実はまだバルサの選手だったようだ。しかしながらライカーの構想にサビオラが入っているはずもなく、したがってバルサの選手だろうと今シーズンも移籍先を探すのが当然だと考えていた。
 それが何をどうしたのか、毎シーズン恒例の開幕前行事であるガンペールに、サビオラを出場させたのだ。
 昨シーズン、エトーがアフリカ選手権で一時不在になったときでさえ、マクシ・ロペスを使わなかったライカーがサビオラを使うとは思えない。それなのに、どうしてここで、という感じなのだ。

 もちろんこの試合は親善試合であり、一応は公式戦であるスーペルコパとは違う。そこにはサビオラは呼ばれていない。移籍期限前の最後の親善試合だから、移籍探し最後の披露、ということは十分に考えられる。
 試合後のコメントでは、いつも優等生発言しかしないサビオラ。やっぱり今回も優等生発言だった。
 「ライカーとの関係はいい。いろいろなことをオープンに話している」(携帯版公式より)
 このコメントから読み取る限り、やっぱり移籍探し最後の、という雰囲気はある。だが、一サビオラファンとしては、このゴールで淡い期待をしてしまう。出場すれば結果は残す。今一つサビオラがバルサにこだわる理由を理解できないでいるけど、けっきょくバルサでしか結果を残していないサビオラには、バルサの水が合うのでは、などと思ってしまうわけだ。
 いずれにしても、プレシーズンでの背番号は「22」。ラーションが去って空いた「7」、バルサでプレーしていたときに背負っていた「7」は彼のものではない。デランテロの優先順位はエトー、グジョンセンに次ぐ3番目。右はジュリーとメッシーで十分にポジションが埋まっているし、左はロナウヂーニョ。サビオラが彼らよりも器用にサイドのポジションをこなせるとは思えない。つまり、ほぼほぼ出番はないのである。

 親善試合だからってガンペールに使わなくたっていいじゃないか。
 ワールドカップのアルゼンチン代表で、ゴールも決めたサビオラ。今さらアピールなんぞ必要ない。サビオラだって使われないところにいるよりは、絶対に移籍したほうが良いに決まっている。それなのに、どうしてここで使われ、しかもゴールまで決めてしまうのか。わかっているはずなのに、やっぱりゴールには違いないから、つまらぬ期待をしてしまうのだ。
 サビオラはモナコにも呼ばれているようである。2シーズン前の所属場所。ライカーが、サビオラ帰還という、そんなセンチメンタルなことをやるとは思えないけど、もしここで使われでもして、伊勢記載ではヨーロッパ戦に出られない状況にだけはならないでくれと祈りつつ、8月31日を待つガッチョなのだった。
ニックネーム ガッチョ at 22:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 選手

2006年08月22日

バルサがバルサであるために。

 今週末(正確には来週月曜日)が開幕だから、その前に、ボクの立ち位置を明確にしておこう。

 モンジュイックで0−1勝利、カンプノウでは3−0圧勝。予定通りにスーペルコパを獲得して、まず一つ目のタイトルを手にした。6冠獲得シーズンと勝手に銘打った今シーズンが順調に開幕した。
 そう、順調に開幕しちゃったのである。
 ロナウヂーニョは相変わらずバルサではサンバを躍るし、デコもスーペルコパで2ゴールの見事なまでの帳尻合わせ、チャビまでもがゴールを決めるなどして復調アピールと、まったくもって文句のつけようがない。エトーは怒っちゃったのかワカランけど、グジョンセン、ザンブロッタ、テュラムがバルサデビューを飾り、リーガ開幕に向けて、あまりにも万全すぎるのだ。

 これでいいのか、FCバルセロナ!

 いや、イイに決まっているのだけど、ね。
 どうも最近、勝ち続けるバルサに馴染めないボク。6冠獲得シーズンと銘打ったのはいいけれど、そんなバルサはバルサっぽくないな、と思っている始末。負けるところは観たくないのだけど、きっと今シーズンも圧倒的な強さを示してリーガを制するだろうから、それはそれで納得しないに違いない。単なるヒネクレ者っていえば、それまでなのだけど、やっぱりどこかスッキリしない感じが残る。
 たぶんボクはギリギリの試合が観たいのだ。
 チャンピオンズの決勝を観てきたからかもしれないし、2シーズン前のミラン戦を観たからかもしれない。実はライカーが監督になってから、実はまだ一度も追い込まれた試合がない。就任当初は、それ以前の問題だったし、敗れたチェルシー戦やらチャンピオンズの決勝は、試合展開が苦しくなっただけで、試合開始前から厳しい状況に置かれていたわけではない。特にチェルシー戦は、勝って乗り込んだわけだし、一時は(トータルで)逆転もしている。
 要するに、追いかけられる立場なのだ。
 ボクの中には、どうしても追いかける立場、それがバルサという妙な思い込みがあって、それがこの順調なライカー・バルサを受け入れられなくしてしまっているのである。

 でも本当のところは違う。
 確かに順調なバルサに対して、なかなか素直になれない変態なボクだけど、でもやっぱりバルサには勝ってほしいわけで、それはあくまで遊び心の問題だ。
 ボクが一番気にしているのは、この順調なバルサが、今シーズンもチャンピオンズの決勝に勝ち進んでしまうのではないか、ということである。なんと言っても、今シーズンの決勝の地はアテネ、クライフの“ドリームチーム”がすべてを失った場所。ボクらはかの地に置き去りのままのスペクタクルを取り戻しに行かなければならない。だから本当は、このバルサがアテネへ行かなければならないのだ。
 そしてもし本当にそうなってしまったとき、ボクは恵比寿の観戦だけで満足できるのだろうか。
 アテネには行かない。今のところ、そう考えている。
 だって、あれ以上に高いハードルをボクは乗り越えられそうにないから。
 だから何かの間違えでバルサがチャンピオンズの決勝に勝ち残らないことを祈ろう。
 そうすれば、アテネに行く必要などない。だが、バルサがバルサであるために、今シーズンは絶対にアテネまで勝ち残るべきなのだ。


 さて、そういうスタンスで今シーズンのバルサと関わっていこうかと思っています。
ニックネーム ガッチョ at 21:57| Comment(0) | TrackBack(14) | FC Barcelona

2006年07月29日

6月の傍観者たち:2

 「いつもと変わらないよ。バルサとファンに僕の人生を捧げることさ」
 来シーズンの目標は、と尋ねられて、いつかのインタビューでこんなことを答えていた。

 2006年5月17日、きっとこの日のことを生涯忘れないと思う。パリ郊外、サン・ドニ。目の前ではチャンピオンズの決勝が行われている。ボクはバルサのユニフォームを着て、バルサのゲーフラを見にまとい、周りのバルセロニスタたちと一緒にバルサを応援していた。
 試合はアーセナルのものだった。一人少ないながらセットプレーで先制したアーセナルが、持ち前の堅いディフェンスでバルサを完璧に封じ込めていた。試合が進むにつれ、より守りを重視していくアーセナルを前に為す術を失っていくバルサに、ボクは厳しい結果も覚悟した。ただひたすら応援し続けていたが、ボクの声など届きそうになかった。
 一本の深いパスがラーションに通る。イニエスタからのパス、それに反応していたエトーと、ラーションのポストプレーとがドンピシャのタイミングで合う。
 爆発する一階席。ボクは隣りのバルセロニスタと抱き合った。一気にスタジアムの雰囲気が変わる。同点ゴールで勢いづいたバルサが、アーセナルを圧倒する。バルセロニスタは、手に持つマフラーを回し続け、歌い続けた。ボクも目の前で行われている、そのすべてに入り込んでいた。降りしきる雨にさえ、まったく気がつかないほどだった。
 再び一本のパスがラーションに渡る。サイドに流れながらタメを作るラーション。そして生まれた僅かなスペース、そこに走りこんでくる。ちょうどボクの目の前だった。
 雨が降っていることに気がついたのは、バルサの逆転ゴールが、スタジアムのスクリーンで映し出されているときだった。ベレッチが手で顔を覆う。泣いているのだろうかと思ったそのとき、初めて雨に気がついた。

 このゴールによってバルセロニスタの記憶に永遠に残ることとなったベレッチ。ボクはこのゴールでセレソンに選ばれるかと思っていたけど、彼もジュリー同様に、6月の傍観者だった。
 インタビューではワールドカップはほとんどの試合を見たと答えていた。だからセレソンの不甲斐ない戦い振りも見ていたということになる。ベレッチは、ジュリーほど可能性があったわけではないにしても、このワールドカップをどう見ていたのだろうか。特に彼は右サイドの選手、セレソンにはカピタンのカフーがいたけど、でも彼のプレーはもはや全盛期の面影さえ感じられないものだった。
 ベレッチは飄々としている。そんなイメージを持っていた。いつも無表情で、鉄仮面というニックネームがピッタリの、だから感情を顕わにする選手ではないと思い込んでいた。
 確かにあの頃のベレッチがおかれていた状況は良くなかった。オラゲルの台頭と守備を重視するライカーの戦術と、ベレッチがベンチを温める試合は多くなっていた。だが、彼にもドイツへ、という目標があったと思う。そしてベレッチは自分の持ち味を出し続けていた。例えばベンフィカ戦の、エトーへのアシスト。多くの人が、どうしてそこにベレッチが、と思っただろうが、でもそれがベレッチの良さであって、セレソンで求められることでもあった。
 ゴールの瞬間にセレソンのことが頭によぎったとは思わないが、報われ続けなかった男が最後の最後でその感情を爆発させたのは、しびれるものがあった。

 ボクらのネタの対象にしかならないベレッチだが、さすがに代表経験もあるブラジル人のラテラル、運動量は多い。今思えば、調子を合わせていたのかもしれないベレッチだっただけに、あのセレソンを見て何を思ったのか、と気になってしまう。
 だけどベレッチはそんな話題はおくびにも出さず、来シーズンへ向けて、バルサとファンのために、と言う。
 彼のフットボール人生のハイライトであろうチャンピオンズの決勝とゴール。以前、どこかで書いたけれど、ベレッチをベレッチとして容認できるビッグクラブはバルサしかいない。だからボクらはあのゴールをけっして忘れないし、ベレッチもバルサとボクらを想ってくれるのだろう。
ニックネーム ガッチョ at 11:36| Comment(1) | TrackBack(0) | 選手

2006年07月28日

6月の傍観者たち:1


 バルサがビッグイヤーを獲得した夜、フランスのテレビ局ではジュリーの映像が幾度となく流されていた。決勝での取り消されたゴールと準決勝でのミラン戦のゴールと、バルサのチャンピオンズ優勝の立役者となったジュリーをフランスメディアは絶賛していた。そしてそこには、どうしてジュリーを招集しなかったのか、というニュアンスが含まれていた。
 ジュリーは今回のワールドカップをどう見ていたのだろう。何かのインタビューでは、落選のショックから試合はあまり見ていない、と答えていたが、それでも結果は伝わってきていたはずだ。
 フランスのワールドカップは一般的に考えられていたよりも成功した。決勝で敗れてしまったから、手放しに喜べる結果だとは言えないだろうが、大会前にフランスの決勝進出を予想していた人は少数派だっただろう。それはたぶんフランス国内でも同じだったと思う。だからジュリーの活躍に、どうして、という話が出たわけだ。
 だがその心配は杞憂に終わる。マケレレとビエイラが驚くべきパフォーマンスを披露し、ジダンがその与えられた自由で最後の輝きを放ち、フランスは結果を残した。しかもジュリーの代わりに、といってはあれだが、抜擢されたリベリーも秘められた才能を発揮した。おそらくフランスの活躍に、ジュリーの名前を思い出した人は少数だったと思う。
 そう、結局、彼がいたら、という議論にはならなかったのだ。

 今日、たまたまスポナビに、ジュリーの記事が載っていた。ユーロに向けて、でも召集されなかったなら、今後の代表でのプレーはないかもしれない、という内容だった。でもそれをジュリーは必ずしも臨んでいないようだった。
 ジュリーは今シーズンを迎えるにあたり、新たに2シーズンの契約延長をバルサと結んでいる。彼の年齢からすれば、バルサが最後のクラブになる可能性は高い。それを受け入れてくれるジュリーをファンとして嬉しく思うし、たとえ最後のクラブにならなくとも、この契約を全うする頃に、再び別のビッグクラブで、という話にはならないと思う。モナコ(を含むフランスのクラブ)に戻るという可能性があるくらいだろう。
 今のバルサにおいて、ジュリーは欠かせない戦力である。メッシーの台頭もあって、昨シーズンはファーストチョイスではなくなっていたが、それでも彼がいるといないとでは大きく違う。ジュリーのように、実績があって、それでも控えを受け入れてくれる選手というのは貴重だ。昨シーズンのバルサ最大の強みはここにあった。ラーションにジュリー、実績十分のベテラン選手が控えながらも、いつ出場しても結果を残せるような準備を怠らない。それがプロなのだといえばそれまでだが、やっぱりこの手の選手がチームにいてくれるメリットは大きい。その証拠に、チャンピオンズの決勝ではラーションが、準決勝ではジュリーが、ここ一番の舞台で活躍している。一言、ベテランの為せる業、なのだが、バルサがヨーロッパチャンピオンになるために必要な仕事だった。
 だからサン・ドニの試合後、バルセロニスタから“ラルソン”(ラーション)コールが起こったのだ。

 ジュリーのシーズン終盤のパフォーマンスを見ている限り、ボクはドイツでも十分に活躍できたと思う。それはもちろんスタメンであっても結果を残したと思うが、控えだったとしても彼ならば途中出場で何かしらの結果は残せたのではないか、と、バルセロニスタは思う。“たら・れば”を申し上げるつもりはないけれど、でもジュリー本人は、オレがいたら、と考えているような気もする。例えばジダンがピッチを去ったあと、そういう厳しい状況に立たされたとき、オレだったら、と。それはもちろんバルサで見せてきたように。
 ジュリーのバルサ残留選択は、バルセロニスタにとってこれほど嬉しい話はないが、ジュリーにとっては必ずしもすべてが良い方向へ進んでいるわけではない。なぜなら、それでもやっぱりジュリーはファーストチョイスではないだろうから。つまり代表への返り咲きが限りなく絶望に近いのである。

 ボク自身は、メッシーが出場しているバルサよりもジュリーが出場しているときのバルサの方が好きだから、ジュリーの出場機会が増えればそれはそれで嬉しい。でもやっぱりバルセロニスタだから、単純なジュリーとメッシーとの天秤ならば、迷うことなくメッシーを選ぶ。
 ジュリーの状況は何も変わらない。ラーションが去ってグジョンセンがやってきた前線のメンバーは、これまでと変わっていない。ロナウヂーニョにエトー、そしてメッシーの才能が本格的に開花してくれば、バルサの前線は間違いなく彼らが主体となる。
 ジュリーの契約は2008年まで、そのときの年齢は32。直後にはEUROが控えていて、大舞台へのラストチャンス。はたしてジュリーを取り巻く環境は変わっているのだろうか。それともどうな風に変わっているのだろうか。
ニックネーム ガッチョ at 22:43| Comment(1) | TrackBack(0) | 選手

2006年07月18日

ちょっと燃えてきた。

 ちょっと燃えてきた。
 フィーゴの一件以来、シーズンオフの出来事には一切合切興味を示さないというスタンスを決め込んだボクだけど、今シーズンはちょっと盛り上がってきた。といっても、やっぱりバルサの話ではなく、マドリーの話。そしてユヴェントスの話。

 ご存知の方も多いだろうけど、ユヴェントスが二部に降格する。昨シーズンに沸いて出た八百長疑惑、その制裁が下った格好で、ユヴェントスの二部落ちが決定した。ユヴェントスは控訴の構えを見せているので、まだどうなるのか、ハッキリしてないところだが、三部落ちもあるといわれていたところでの二部、どれだけモッジに力があったとしても、おそらく二部開幕時のマイナスポイントの軽減程度が関の山だろう。だからユヴェントスの来シーズンは二部からのスタートとなる。それはほぼ間違いないだろう。
 そうなってくると、ユヴェントスでプレーする選手たちにも不満が出てくる。チャンピオンズに出場できないどころか、二部でのプレー。それに満足できる選手など、ほとんどいないだろう。デル・ピエーロのようにユヴェントスと心中する覚悟のある選手以外は、ほとんど移籍していくと思う。だからイタリアの優勝の原動力に、この一件があったことは言うまでもない。彼らは直前の大会で、再び商品価値を高める必要があったし、またそれに成功した。
 そしてここに来て、その話題が注目されてきた。カンナバロの移籍である。もちろん移籍先はマドリーだ。
 こんなものをいちいち信じてはいないけれど、何でも、カンナバロがマドリー新監督に“移籍します”との旨を伝えたとか。そういう噂が出てくるくらいになっている。でも、それもそのはずで、なんといっても昨シーズンまでのユヴェントスの監督、それがカペッロ。彼にしてみれば、今のマドリーを一から改革するよりも、昨シーズンのユヴェントスをそのまま持ってきたほうが簡単なのだ。
 カンナバロのほかに、ザンブロッタとビエラにエメルソン。こんな名前がすでに挙がっている。しかも、よくよく考えてみれば、昨シーズンの冬に移籍していたカッサーノ。誰もがマドリーに適合するわけがないと思っていた話も、やっぱり予定通りなのか、とまで思わせてくれるこの展開。もう、文句のつけようがないのである。
 ボクはアンチではないけれど、マドリーを応援することなど、けっしてない。だが、マドリーがバルサ以外のクラブに倒されると、なんとなく虚しく思ってしまう。マドリーを倒すのはバルサ、そう思っているから、ボクはマドリーが強くあってほしいと考えている。
 だからどれだけ安直だろうと、どんな形であろうと、マドリーが強くなるのに不満はない。むしろ歓迎するくらいだ。そして今回の一連の動きは、ボクにとっては、願ったり叶ったりの展開といえた。

 ボクは今のバルサには決着をつけなければ相手が少なくとも2つはあると思っている。
 一つはカペッロだ。
 “グランデ・ミラン”などと呼ばれていた時代に、カペッロはバルサをコレンパンにしている。舞台はチャンピオンズの決勝、圧倒的にバルサ有利だと言われていた中、カペッロはバルサを完膚なきまでに叩きのめす。計らずながら“ドリーム・チーム”などと謳われることになるクライフ・バルサの時代である。たぶんバルセロニスタにとってもっとも幸福だった時代、それにカペッロが引導を渡した形となったわけだ。
 その後もバルサはカペッロに勝てていない。それがミランでもユヴェントスでもなく、ローマだったとしても、バルサはカペッロに勝てなかった。
 それに何よりカペッロはマドリーを甦らせた監督だ。さらに言えば、バルサとマドリーとの間にあったパワーバランスを逆転させるきっかけを作った監督である。
 そんなカペッロがマドリーにやってくる。これ以上願ってもない展開はない。
 そしてもう一つがユヴェントスである。
 あれは2002−2003シーズンの話。無敗で勝ち進むバルサに、立ちはだかったのがユヴェントスだった。当時、ボロボロだったバルサにはこれしか残されておらず、でもファン心理として、これだけはと思い込んでいた。なぜかヨーロッパでは勝ち続けていたから、淡い期待を寄せていたのである。しかし現実は残酷なものだった。延長に入っての、逆転負け。あのバルサが勝てるとは思っていなかったけれど、でも負け方が虚しかった。バルサらしく散ったといえばそれまでだけれど、でもそれを差し引いても虚しかった。
 バルサはこの後、転落の一途を辿ることになる。暗黒期を迎えるキッカケをなった試合だった。
 だからバルサが再びヨーロッパの舞台で輝くにはカペッロとユヴェントスとに決着をつけなければならないと、ボクは考えている。
 そこに、今回の話だ。マドリーにカペッロがやってきて、そのメンバーの中心がユヴェントス。こんなおあつらえ向きの展開、たぶん二度とないだろう。ここまでお膳立てしてもらえるなんざ、早々あるもんじゃない。だからきっと、これが最初で最後のチャンスなのだ。

 12年前の亡霊たちよ、駒はすべてが出揃った。さぁこれから決着をつけようじゃないか。
ニックネーム ガッチョ at 22:37| Comment(3) | TrackBack(0) | FC Barcelona

2006年06月17日

ふてぶてしく。

 普段からメッシーのプレーを見ているバルセロニスタにしてみれば、それほど衝撃の出来事ではないのかもしれないけれど、でもやっぱり18歳の選手がワールドカップのデビュー戦で1ゴール1アシストには驚かされた。

 メッシーが心底恐ろしいのは、けっして自分を見失わないところだ。それがワールドカップだろうとリーガだろうとチャンピオンズだろうと、彼は何も変わらない。ボールタッチの柔らかさだけで、観る者を魅了するところも、プレーの選択に間違いないところも、何も変わらない。それがごく自然で当たり前のように彼はプレーする。でもボクはそんなメッシーを知っていたはずだった。いや、正確にいうならば、彼はボクが初めて見たときから、そういう選手だった。
 ボクは数年前に行われた愛知での大会には行かなかったから、メッシーのプレーをまともに(テレビで)見たのはたぶん昨年のユースが初めてだったと思う。メッシーは一世代若い選手だったが、その才能を買われて代表に選ばれていた。そしてやっぱりそれが当然であるかのように、彼はチームの中心となって、勝利に導き続けた。ただ一世代若いメッシーを中心にするくらいだから、このときのアルゼンチンにはそれほど多くのタレントがいたわけではないのだろう。今思えば、メッシーの能力だけがただただ抜きん出ていたということなのかもしれないが、この時はそういう風には考えられず、メッシーによって勝ち進むアルゼンチン代表を見ていた。
 迎えた決勝は、もう対戦相手さえ憶えていないが、アルゼンチンは苦しんでいた。メッシーも厳しいマークの中で、彼らしいプレーを見せることが出来なかった。あの決勝、たぶんアルゼンチンに良いところは一つもなかったと思う。それでも優勝したのはアルゼンチン、決勝ゴールはPKだった。
 もしかしたらあのPKはメッシーがフットボールの神様に寵愛されていた証拠なのかもしれない。ただ非常に残念なのだ、そのPKをメッシーは何のドラマもなく、難なくゴールに沈めてしまったことだ。メッシーはペナルティ・スポットにボールを置くと、その後はただの一度もボールを見ることなく、GKの動きだけをしっかり見ながら、GKが反応した方向とは逆に、ボールを流し込むのだった。優勝することも何もかも、彼には当たり前のことなのだ。
 ボクはこのプレーを見たとき、この選手は、並みの選手ではないと実感した。
 でも、それを知っていたはずなのに、やっぱりワールドカップでのメッシーには驚かされてしまった。
 知っている人も多いだろうけど、というよりも、このBlogで書いてしまったけれど、ボクはメッシーを買っていなかった。ユースの時点での比較であればサビオラの方が上だと思っていたくらいだ。今大会の活躍でどうにかボクの面目は保たれたかもしれないが、才能は誰がどう見てもメッシーの方が上である。だからやっぱりボクはメッシーをまだ信用していなかったのだろう。

 今大会は、バルセロニスタではなくとも、ロナウヂーニョの大会になると思っている人が多いと思う。ロナウヂーニョの自伝らしきものもニッポンでは出版されているし、その注目度は一番だ。だけど、この日のメッシーを見て、ボクの考えは改まった。
 もうここまで来たら、メッシーの大会になってしまえ、と。
 たとえあの試合がもうキレていたセルビア・モンテネグロが相手だったとしても、そんなことは関係ない。メッシーはどの試合だって変わらないはずだからだ。実際、ゴールを決めた後、メッシーは大げさに喜ばなかった。試合展開もあっただろうけど、どこか当たり前だという雰囲気をかもし出していた。そんな気がする。
ニックネーム ガッチョ at 23:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 選手

2006年05月24日

サンドニの奇蹟:4

※この日記は連載モノです。どこから読んでも構いませんが、
 できれば、その1から順にご覧くださるようお薦め致します。


 明らかにニセモノだと分かるチケットを持つボク。だが、たったそれっぽっちのことで、立ち止まるわけにはいかない。実際、ホンモノだろうとニセモノだろうと、ここにチケットがあるのは事実。そしてまだ誰もこれをニセモノだと判断したわけではない。何と言ったってボクはホンモノを見たことがないのだ。

 だからボクは先ほど言われたTゲートに向かった。するとボクと同じような状況(もちろん持っているチケットはホンモノ)に陥っている人がわんさかわんさか。だが、この手の状況が初めてではないボクは、後ろでボケボケしていてもどうしようもないことを知っている。こういうときは、無理やりにでも人だかりの中に入って、勝負しなければならないのだ。
 だが最終ブロックに至っても、こちらもこちらで、ゲート管理者は融通が利かない。もう閉まっているからダメだの一点張り。でもそう簡単に引き下がるボクでもないし、もちろん同じ状況下にある人たちもそうだ。チケットは持っているから、とにかく入らせろと交渉すると、なぜか5分待てと言われる。ロクに英語も理解しないボクがフランス語など分かるはずもないが、とにかく待てと言っている。実は最前列で陣取ることに成功したボクは、ここまで来て、騒いでも意味がないことをなんとなく感じていた。だからひとまずここは一度さがってみて、様子を窺うことにした。
 そこでいろいろ考えたのだが、ひょっとすると、試合開始と同時にシステムがクローズするのではないか。確かに試合後にすべてのゲートが閉まり出した。ボクは試合開始後にスタジアムの外廓を半周以上している。だからおそらく試合開始からもう15分は経過しているはずだ。きっと閉めてしまったシステムを一時的に戻しているのだ。
 そう、そうに違いない。
 そして5分(じゃないと思うけど)経ち、前から一人ずつ呼ばれる。ボクは最前列にいたため、2番手の指名を受ける。五分待った甲斐があったのか。先頭の人間がチケットを手渡し、そしてすんなりと入場していった。次はボクの番である。もちろん手に持つニセモノらしいチケットを手渡す。すると案の定、ゲートのセンサーは読み取らない。すぐ横に、くっきりと「×」の文字が見える。ダメだ、このチケットはやっぱりニセモノだったようだ。
 すかさず、別の係の人間がやってきて、ボクのチケットを持ってゆく。いよいよ審議にかけられるのだろう。

 さすがのボクも、もうここで万策尽き果てた。何をどうしたって、ニセモノはニセモノなのだ。

 係の人間が戻ってきた。そしてもう終わりだと思った瞬間、驚くべきことに、なぜか再びチケットをセンサーにかけたのだ。どうしてそんなことをする必要があるのだ。当然のように、センサーは読み取らない。相変わらず「×」の文字だ。間違ってもゲート番号の“エックス”ではない。だからそれはニセモノなんだよ、と思いつつ、だけど逆に向こうの人間がなぜか困った顔をしているのだ。そしてちょっと待ってほしいと言ってきたのである。もちろん先ほどの5分待てとは明らかに声のトーンが違う、“ちょっと待って”。
 もしかして、もしかして、本当に機械トラブルなのか。そのチケットがニセモノであることは疑いないことだが、システムがトラブっているならば、もし本当に機械にも問題があるのであれば、これは付け込むチャンスだ。
 千載一遇とはまさにこのこと。ようやく巡ってきた最初で最後の奇蹟。これを逃しては、もう何もない。ボクは最後の、本当に最後のアタックに出た。


 フットボールは素晴らしいスポーツである。
 たとえ言葉が通じなくとも同じフットボールファンというだけで、誰とでも分かり合えるし、喜びだって共有できる。それがフットボールにおける最高の魅力だ。
 そしてそれは、きっと観たいという純粋な意志にだって、当てはまる。


 ボクの押しに敗れた係員が、なんと、自分の係員証を取り出し、そこのコードでゲートを開けてくれたのである。ボクは、思わず、メルシーと言いそうになるが、それを言ってはすべてが台無し。何事も当然かのようにゲートを突っ切って、そして再び走り出す。目指すはバルサゴール裏であるXスタンド。もうオレの前に立ちはだかるものなど、何もない。
 やった!やった!再びやってきた興奮はもう抑えきれそうになかった。
 ボクは、再びチケットに目をやり、入場口である「X4」を探して、走って、とにかく走った。そして階段を駆け上り、スタンドに飛び込む。試合は20分を過ぎようとするくらい。まだスコアは動いていない。目の前ではバルサイレブンとアーセナルイレブンが本当にプレーしている。
 ついに辿り着いたサン・ドニ。パリ着から約4時間半。この長くゴールの見えない厳しい戦いは、午後9時になろうかという頃、ようやく終わりを告げた。あとは、本来の目的である、バルサ優勝を見届けるだけだ。

 そうして、ボクは安心し、自分の席を探そうと50列の17番シートの方へ目を向く。だが、席が空いている感じがまるでない。あれ?と思って、キョロキョロしていると、ボクの肩を叩く人間がいた。振り向くと、警備員だった。
 やっちまった!
 舞い上がってしまい、我を忘れ、自分の席を探してしまった。
 ニセモノチケットであるボク、当然の話だが、席などあるわけがないのだ。
 もしここで、席を探しましょうか、などという展開になってしまったら、そして持っているチケットがニセモノだとバレてしまったら、これまでの努力の、そのすべてが水の泡だ。ここに来て何というボーンヘッドなのだろう、とドキドキしていると、「Japo es BlauGrana」に秘められたみんなの想いが、ここ、サン・ドニにまで十分すぎるくらい届いていたのだった。

 「オマエ、バルセロニスタか?」


 そう、フットボールは素晴らしいスポーツだ。
 たとえ言葉が通じなくとも、それが同じバルセロニスタというだけで、誰とでも分かり合えるし、喜びだって共有できる。そう、それがフットボール最高の魅力だ。


 ボクは警備員に、ニッポン人はみんなバルセロニスタさ、と告げ、ダンマクを誇らしげに見せた。
 すると彼らは、満面の笑みでこう言った。
 「オレたち3人もバルセロニスタだ。ここで一緒に観ようぜ!」
ニックネーム ガッチョ at 01:15| Comment(0) | TrackBack(0) | CL決勝観戦記。